2024年6月4日火曜日

日本科学者会議群馬支部( JSAG ) 総会記念セミナー要旨

「超国家的枠組みによるマイノリティの包摂と権利保護
  ―EU におけるロマ包摂政策を事例に―」

2024年5月30日(木)18時30分〜20時 
講師:土谷 岳史氏(高崎経済大学経済学部教授/専門 EU研究)

 本セミナーは、ヨーロッパにおける被差別集団であるロマを事例に、マイノリティ包摂という課題におけるEUの可能性を検討したものである。ロマはヨーロッパに1000万から1200万人程度存在するとされるマイノリティである。EU内にはおよそその半数が暮らしていると推定される。特に、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーなど中東欧諸国に多く存在し、人口に占める割合も10%弱と高い。スペインやフランスなど西欧諸国にもロマは存在するが、人口に占める割合は低いこともあり、ロマの包摂は中東欧の問題との認識がEUでは強い。ロマの人々は非定住生活を送るとされるが、多くのロマは定住生活者であり、主流社会のなかで暮らしている。しかし、主流社会に溶け込んで暮らしているロマは、ロマだとわかると差別される恐れがあるため、不可視化されている。
 そのうえでロマの人々の状況を確認しておくと、貧困のリスクは極めて高い状況にあり、安心して暮らせるような住環境がない人も50%程度となっている。教育からの排除も大きな問題であり、差別がライフサイクルの様々な時点での排除を生み出し、それがほかの面での排除へとつながるという悪循環が形成されている。コロナ禍でもロマの人々は深刻な影響を受け、社会からの排除を経験した。また、ウクライナから避難民でもロマということで排除を受けた人たちもいた。現在でも以上のような深刻な状況に置かれているロマの人々の包摂について、EUではどのような対応を取ってきたのか。
EUがロマの包摂を政策課題としたのは、中東欧諸国の拡大過程においてであった。EU加盟の条件にロマの包摂が含まれたため、中東欧諸国は「ロマ包摂の10年(2005-2015)」を開始したが、EU加盟が実現すると大きく進まなくなり、課題が残されたままとなった。一部の加盟国は、ロマはヨーロッパのマイノリティであるとして、自国の責任を否定し、EUに包摂の責任を負わせようとした。このようななかで策定されたのがEU初のロマ包摂政策である「2020年までのロマ統合国家戦略のためのEU枠組み」であった。
 本枠組みは、ロマ包摂は加盟国の責任であると明示し、EUで目標を定め、加盟国の自発的な創意工夫と相互学習を促しながら政策実施を目指す、「OMC」と呼ばれるソフトなガヴァナンスの方式に則ったものであった。EU立法を通じた政策執行という通常の方式と比べると、法的拘束力はないものの、合意形成が容易であり、柔軟性をもった方式である。加盟国間で意見が割れていたり、強い反対意見がある場合にはEU立法は困難なこともあり、ソフトなガヴァナンスの有用性は高い。しかしながら本報告の観点からは、被差別マイノリティの包摂という、政策実施主体である加盟国自体に政治的意思が欠けている場合に、このようなソフトなガヴァナンスは実効性があるか、というのが問われる。
 果たしてその結果は、大きな反省が迫られるものであった。教育や保健といった分野では改善が見られたものの、住宅といった基本的サービス、そして差別については逆に状況が悪化したという回答の方が多かったのである。
 EUは本枠組みを見直すなかで、ロマの参加が欠如したパターナリズムに陥っていた点と、差別対策の欠如を問題として認識し、2020年からの「EUロマ戦略枠組み:平等、包摂、参加」を策定した。欧州議会が求めた新たなEU立法ではなく、ソフトなガヴァナンス方式を踏襲し、EUが設定する目標の明確化、指標の策定など、拘束力を強化したものとなった。EU立法を避けた理由は可決の可能性が見えないというものであり、ロマへの差別対策について、加盟国のなかに政治的意思を欠いている国が少なくないことが推測される。新枠組みでも加盟国に義務付けられた加盟国戦略が、EUの指針などを適切に反映したものが少ないことなどからも、政治的意識の欠如という課題が続いていることが見える。
 改善の可能性を左右するのはロマへの差別(反ジプシー主義)認識の改善であり、新枠組みではロマのホロコーストの記憶がひとつの重要な戦略手段となっていることが伺える。しかし、ホロコーストの記憶の政治はEUの東西で大きく分かれており、中東欧諸国はEU主導の記憶の政治を、コスモポリタニズムの押し付けとして反発し、バックラッシュが起こる危険性が指摘される(詳細は、拙稿「EUにおける記憶の政治」『高崎経済大学論集』第66巻第4号、2024年を参照されたい)。上述のように、ロマは中東欧諸国に多く存在しており、ロマ・ホロコーストの記憶の政治は西欧主導の記憶枠組みに依拠するものである。バックラッシュを避けつつ政策の実効性が担保されるかどうかが注目される。新枠組みを運用するなかでインクリメンタリズムによる改善が見られるか、特に拘束力の強化が実効性を生み出すかが今後注視されよう。一方で、ロマの側も一枚岩ではなく、EU政治で活動するエリートと一般のロマの人々との乖離も指摘される。EUの枠組みのもとでの加盟国の政策の相互作用がロマの間の結束を強化するかどうかも注目に値する点であろう。
 最後に、多数の質問をいただき、十分に答えることのできなかったものも多かった。今後の課題としつつ、質疑のなかで報告者が示唆を受けた点について簡単に触れておきたい。複数の国家にわかれて生きるロマは一国単位の対応では不十分な、国際的な取り組みが必要な事例だと考えられる。それは問題の視角によって、ヨーロッパにとどまらず日本も含めた世界的な課題の一部、またはひとつの現れとしても捉えられるかもしれない。EUに欠けている帝国主義、植民地主義への反省とかかわる問題と理解するそのとき、帝国であった日本もまた普遍的な包摂を推し進めるために協力や相互学習のパートナーとして協力を進めるべきであろう。

                       文責 講師本人 土谷岳史

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